西欧現代の階級社会~階級制度と民主主義のシンクロ構造:ロンドンで英仏人スタッフ相手にフランス語で統率してミシュラン☆獲得でわかったこと
作家・宇田川 悟
聞き手:賢者のワイン店番・上野善久
パリ在住23年の間に、ロンドンに新規開業したフレンチレストランの総括責任者となり、イギリス人2人を含む20数名のフランス人を相手に毎日フランス語で指揮命令し、1年余りでミシュランの☆を獲得した前人未到の経験から、現代にも根深く残る階級社会を生きるフランス人プロフェッショナルの思考と行動を民主主義との重層構造として見抜き、自身の稀有な体験をベースに臨場感あふれる文化論を展開します。1920年代のパリが世界のジャズの中心地で、ラベルやストラヴィンスキーら当時気鋭の作曲家をも魅了したフランス社会の土壌から始まって、縦横無尽に語ります。(宇田川悟氏は2024年8月に逝去されました)
※こちらの講義は、テキストデータとして提供します(講義映像も視聴できます)。
全文のご紹介
【店番】今回はフランスの社会と文化に大変お詳しい作家の宇田川悟さんをお招きいたしました。どうぞよろしくお願いいたします。
初めに宇田川さんのご経歴を簡単にご紹介させていただきます。
早稲田大学の政治経済学部を卒業後フランスに渡られまして、20年以上の長い間、パリにお住まいでございました。
その間に、フランスの食文化を中心に大変多くのご本を発表されまして、ご著書は60冊を超えるという多作の作家さんでいらっしゃいます。
フランス政府から農事功労賞シュヴァリエを授章されておられます。それだけではございませんで、実はワインに対しても大変造詣が深くていらっしゃいまして、ボルドー、ブルゴーニュ、シャンパーニュ、この三つの銘醸地からシュヴァリエ、騎士号を授章されておられまして、本当はワインの専門家なんですけれども、ワインの専門家を気取らないという大変奥の深い先生でいらっしゃいます。
今日は、この宇田川さんにフランスの食文化を中心にお話を伺っていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。本当はワインはその国の文化とか社会と切り離せないものだと思うのでが、どうも日本の場合はワインをワインだけで語るような部分が多いと気がします。この辺はどういうふうにご覧になっておられますでしょうか?
1920年代のパリは世界のジャズの中心地だった
~ラベルもドビュッシーも虜にした未知の音楽の土壌とは
【宇田川】そうですね。それについての話はいろいろありますけども、ちょっと私の自分の宣伝をさせてくださいね。
コロナでちょっと時間があったもんですから、書いていたんです。それは単行本5冊分ぐらいの大作なんですけど、基本的にエッセーなんです。解説書とか歴史書とか図鑑でも何でもないんですけど、もちろんフランスものなんですよね。
20世紀はじめから1960年代までの間、約半世紀の。芸術の動きというか、だからもちろん小説とか写真とか、あるいはうまくそれが一種混在一体となったものを書こうとしたんですよね。そこにですね実はそういう物語を書いてきたフランス文学者はたくさんいるわけだから、私みたいな一介の作家は何か一つ新しい基軸を得ないと刊行できないわけです。
そこで何を隠し、その爆弾として投下するか。と考えたときジャズという音楽あったんです。
私は元々好きだったんだけど、フランスとジャズ、全然イメージが違いますでしょう?
実は、日本では意外でも、世界中にある国でフランスほどジャズの先進国はないんですよ。その第1次大戦の終戦後に初めてジャズが入ってきて、その衝撃たるや。
当時の新聞をいろいろ読んでるとね、ものすごいショックだったんですよね、当時の音楽家は。クラシック界でもちろんドビュッシーとかサティとか、ストラビンスキーとかモーリス・ラベルとか、あるいはフランス6人組っていたんですけど、彼らが、もう虜になっちゃうぐらいショックだった。
初めて聞いたわけですよ、そういう音楽。1920年代の後半からは、爆発的にあの芸術のメインストリートと言っても大げさではないほど、ストリートを歩いてるんですよ。芸術家というのは文学者を含めて全部どっかでジャズというものに変わってですね。
それを爆弾を投下することによって異化作用みたいなものをちょっと総合的に書こうとし、岸田先生がおっしゃるように、リベラルアーツとしてのなんかをちょっと目指していたところが、その中の一つ1920年代なんですよ。
20年代っていうのはジャズエイジってことでスコット・フィッツジェラルドの言葉なんですけど、ジャズエイジあるいはフランスで狂乱の20年代、つられてですね。つまり第1次大戦が終わって好景気になって、アメリカ人がヘミングウェイとかロストジェネレーションといわれて、ドイツからもイタリアからも亡命した。パリというものすごい狭い世界ですね、小さな地域に。
極端に言うと500人ぐらいいたわけですよ。モンパルナスとモンマルトルとサンジェルマン・デプレ、この3つの地域、本当に狭いところで交流してたわけですね。20年代っていうのは考えてもウディ・アレンの映画にミッドナイト・イン・パリスってあるんですが、多分100年に一度のバブルだったわけです。
ということはお酒、食文化に関して言うと、ワインとかシャンパンがものすごく飲まれた時代なんですね。オーギュスト・エスコフィエって、皆さんもご存知だと思いますけど、フランスの近代料理を確立した男なんですけど、彼が1935年に死んでるんですね。
ロンドンとパリのリッツのセザール・リッツという親分の下で監督をしてたんですけども、この人が1935年に死んだということは、今回の中私のお話の中では食文化やワインのことはほとんど書いてないんですけども、ちょうどまさにリッツとか、ジョルジュ・サンクなんかが主舞台になってたとこなんですね。ということは、エスコフィエの料理がもてはやされた時代だったんですね。
【店番】大変興味深いお話だと思うのは、どうしてもですね、食文化とかワインとかっていうふうになると、そこばっかりに入ってしまってですね、周辺のせっかく面白いパリの話、花の都と言われてるようにいろんな人が集まって、この異質が混ざり合うことによって想像できない文化が生まれてきた街の一つじゃないかと思うんですけども、私もですね不勉強でジャズがドビュッシーやストラヴィンスキーに影響を与えたというのは初めて伺うことなので、これはぜひですねその大作の期待できるところでですね。
ワインの専門家で、しかも、シュヴァリエ(騎士号)をボルドー、ブルゴーニュ、シャンパーニュの3つの銘醸地からもらってる日本人っていうのは、実は何人かおられるので、宇田川さんだけが三冠王ということではないのですが、ここからがすごいんですね。
フレンチレストランを作ってしまったんですね。作家の先生やワインの専門家で評論する人はかなり多いんですけれども、ワインを超えて自ら料理のレストランを立ち上げて、それもゼロから立ち上げて、なんとですね、1年半後にミシュランの一つ星を取ってしまったんですね。これは、フランス人としてもあり得ない快挙だったんですけれども、この辺についてぜひ今日お伺いしたいと思うんですけども。
これはどういう経緯で宇田川さんにお鉢が回ってきたんでしょうか?
第一次大戦の敗戦国フランスが、戦後処理のウィーン会議で主導権を握れたわけ
~各国首脳を籠絡したフランス料理の魔力とは
【宇田川】その前に、ワインのことをお話しします。「フランス的例外」という言葉がありましてね。フランス的な価値観が、つまり世界とは異質な価値観を作ったという意味で、フランス的例外という言葉があるんですよ。
それは1970年代までずっと世界で通用していたんだけども、フランスも一般的な普通の国になりましてね。例外的な価値観がなかなか起こせないということがあって。皆さんご存知のように一般的に言えば、そうですねフランス革命もそうだし、あるいは百科全書とかルソーなんかもそうです。
あるいはそのサンボリズムムとか、シンボリズムとかダダイズムとかヌーベルバーグとかね、100年ぐらいにわたってフランス的例外がある意味で世界を支配していたんですね。その中で食文化に限定すると、19世紀に美食神話というのを作ったんですね。
これは美食神話が流布された大きな理由はですね、ナポリの戦争があって、ナポレオンが敗北して、そのポストナポレオンの枠組みをどうやって作るかというヨーロッパの上層連中が侃々諤々やったわけで、それがウィーン会議というのがあって。
そのときに各国の代表が来るわけですよ、フランスの外務大臣のタレイランなんて大物が行くときに、実はあとはカーレムというオーギュスト・エスコフィエの前のグランシェフなんですが、彼を連れて、実は連れて行ってないんですけどね。
つまり、美食とワインで十何カ国の運営委員会の連中を籠絡しちゃったわけです。フランスは敗戦国なんですね。敗戦国にもかかわらず、ちゃっかり美食とワインで、戦勝国になった。つまり、美食神話みたいなものが、そこで確立されたわけですね。
ボルドーとブルゴーニュの社会的背景の違い
【宇田川】そのフランス的例外の中で、ボルドーに関して言うと、1855年にあのメドックという、ボールドも広いわけですからいろんな地区があるんですよ。その中で有名なメドック地区というのがありましてね。サンテミリオン地区とかいろいろあるんですけど、1855年っていうとこれから今から170年ぐらい前ですよね。
その1855年にメドックの高級ワインの格付けっていうのを行ったんですよ。これもそのフランス的な例外の一つのシンボリックな一つの意味なんですけど。考えてみるとわかるんだけども、1855年というのはマルクスが共産党宣言を書いた数年後なんですよね。
つまり、マルクスの行く末は我々も知ってると同じくらい、その時代の格付け、つまり1級から5級につけたんです。その下にクリュ・ブルジョワといって、何百種類があるんですが、ともかく格付けをしたんですよ。その格付けを求めたいのがナポレオン3世で、パリ万博のために目玉を作ろうということで、ボルドー商工会議所に、お前たち作れということで、格付けを一生懸命やった。その格付けがですね、1級から5級までは皆さんも名前ぐらい知ってると思いますけど。
ほとんど1973年まで変わってないんですよ。つまり120年間変わってなかったんですよ。これおかしいでしょ。一つの制度とか、法律でも制度不良が起こるでしょ、結果不備。
【店番】これは変えてくれっていう声はなかったんですか?
【宇田川】なかったんですよ。これねボルドー、あるいはブルゴーニュでもアルザスでもそうなんですけども、ワインオーナーというかその地域に生きてる人たちの考え方がわからないと、わからないんですよ。ざっくり言いますと、1973年に1回、2級だったムートン・ロッチルドが1級になりまして、5本になるんですね。シャトー・ペトリュスは違う地区にあるので。
1回ってことはありえないわけですね。つまりワイン産地というものはどういう状況に置かれてるかと考えなきゃいけないわけですよ。私達はワインの銘柄も知ってるし、日々あのビンからキリまでたくさんあるわけです。たくさんあって、好きなもの飲めますでしょ、お金を出せば。
ところが、ワインの産地でどういうことが行われてるかって、意外とわからない方が多いと思うんですよね。いろんな醸造法、栽培とかミクロ・クリマって細分化された気候とか、そういうことはワインの質を決めるんですけど、もう一つ。
質に影響を与える力のあるものとして、人間という存在を考えないといけないんです。ボールドって皆さんご存知だと思うけど、フランスの地図を広げてほしいのですが、ここはほとんどスペインに近くて、ファーイーストって言われてるんですね。
フランスのファーイーストです。ところがですね。ワインの産地というのは肥沃な土地がないんですよね。荒地みたいな、すごく難しい地味の畑から産地ができる。しかもワインの産地というのは、運べないんですよ。
ワインは運べるけれど、産地は運べない。当たり前のこととして、できたものは運べても、どんなに良い畑でも、それをもうどっかに持って行って畑を拡張させることはできません。フランスの法律はものすごい厳格なもんだから。一つの畑の中の栽培法とか栽培量、生産量が全部決まってるんですね。
ということはですね。一つ高級ワインを作ろうとすると植樹をするでしょ、3年経つと実ができるでしょう。最低10年で収穫ならいいほうで、下手すると15年16年で収穫、20年もある。抜栓して飲まれるまでに、15年は辛抱しなきゃなんないんですよ。
こういう産業あり得ないでしょ? 今年は日照だからって言って水撒いてもいけないですね。日照りは日照りとして受け入れなきゃいけない。天候次第によってわからない、生産の質と生産量が。
そういうとこに生きている人たちがどういうふうになりますか。保守的ならざるを得ないんですよ。受け入れざるを得ない。与えられたものをありのままで受け入れるんです。待つことしかできないんですよ。天命を待つっていうと大袈裟だけど、だって霜とか害虫が発生したらその生産が全部オジャンですよ。
普通の考えであれば、2級や3級のいいところのオーナーでしたら、「うちのは良いはずだ。パリのレストランでも評判がいい。だから1級にぜひ上げてくれ」といいたくなります。しかし、そういう話は出なかったです。ボルドーでも他の地区も、いろいろクラス分けしていますけど、一応一つのシンボリックな話として、メドックのクラス分け、格付けを話したのです。
つまり170年間に1回しか変化を行われてない。不屈、頑固、わがまま、そういう言葉じゃとらえられないワイン生産者ですね。
英仏関係というのは、皆さんよくご存知だと思いますが、仲が良かったり悪かったりするんですけども、12世紀からボルドーが3世紀300年間、イギリスの土地になったことがあるんですよ。アキテーヌ地方ですね。
王様が結婚して土地も一緒に行っちゃったっていう300年間があった。土地がイギリスに行っちゃったということは、例えばブルゴーニュとかアルザスとかコート・デュ・ローヌとかワイン産地、だいたい土地を持っていないから、天候次第だから、待つことしかできないから、本当にこれは神の配剤でしかないわけです。
ところが、ボルドーというのは、そこに近代性があるんです。何故かっていうと、この300年間の中に100年戦争でジャンヌダルクが活躍しました。それが終わってフランスの領土になったんだですが、300年間ボールドをイギリスが支配していたことで、その歴史的な痕跡が今でも残ってるんですよ。
ブルーゴーニュやアルザスとか、他の地区は割合農民的な保守的な気質なのですけれど、ボルドーに関しては、近代的な経営がすごくなされてんですよ。なぜかっていうと、今でも嘘か誠かわかんないけど、ボールドワインの高級ワインのシンジケートは全部イギリスなんですね。
【店番】私がワインの輸入をやってましたときに、ロンドンのワイン商から言われたことがあります。君達ね、ボルドーワインの中心地はロンドンなんだよ。フランス人は葡萄の作り方はわかるが、ワインの作り方を教えたのは我々イギリス人だと、明言してましたね。
【宇田川】つまり近代性は何かっていうと、つまりそれは多分遺伝子として残ってるんだと思いますけど、ブルーゴーニュとボルドーが2大生産地なんです。
大体輸出の7割8割を占めている。日本ではほとんどボルドーですが。ブルーゴーニュとボルドーのオーナーを比べると、全く違うんですよ。ブルゴーニュは本当に農民でね、保守的、頑固。偏屈なところがあります。したたかなところがある、確かに。だって守ってるわけですから。
ところが、ボールドのワイン産地というのは、もう、ブルゴーニュってどこの産地でも、ナポレオン3世で平等分割みたいなのを取り入れちゃって、畑が小さいんです。ボルドーはそういうことはなかったので、大きな畑いっぱいあるんですよね。
あのロマネ・コンティ、有名なブルゴーニュの、あれ1.8ヘクタールなんですよ。年間生産量にはいろいろあって後、5000本って言われたんですよ。対する横綱ペトリュスというのは、メドックとはちょっと違う地区にあるのですが、シャトー・オエトリュスはその10倍ですよ。
つまり、大規模生産をしてるわけですね。そうすると、農民党的な発想ではマネジメントできないんですよ。いまボルドーのオーナーは、いろいろ大手企業が来て寡占化があって、一番シャンパーニュがすごいんですけれども、ルイ・ヴィトングループがね、ワーッと買っちゃう。ボルドーでも資本が入っているのです。
代々続いてる家系も2代目、3代目になると、アメリカとイギリスへ行くんです。MBA取ってるんです。だから近代経営できるんです。例えば現地に行って写真を撮ると、ブルゴーニュだとお百姓さんだから、ちょっとそこに立ってって言って写真撮ると、一生懸命葡萄をこうやってるんですよ。
ボルドーではMBA取ったりして、つまり、新しい血が何十年間ずっと流れてるんですよ。でも、その決定的な差というのは、実はフランス人の性格を表しているということころがあって、フランス人というのは、非常に農民的な性格があるんですよ。よく、保守的な面と革新的な面を両方持ってるんですね。
だからフランス革命とか6月革命が起こるんですけど、つまり農民の保守性と都会的な革新性というのがフランス人にあると同時に、ボルドーの人たちにもあるんですよ。それはね、やっぱりイギリスだった関係なんです。
我々は表面的に見ているだけで。目に見えない権力構造ってだってあります。世界の金持ちが一番なりたい職業、自分の本業以外に、何を所有したいって、シャンパーニュあるいはボールドの葡萄畑、シャトーです。あとはF1です。
シェーンブルン宮殿もベルサイユ宮殿の物真似をしてるに過ぎません。権力を握っていたわけではなかったんです。ベルサイユ宮殿のブルボン王朝は世界の富の何分の1を握っていたのです。屹立した権力です。
ボールドも世界的な権力と一体になってるんです。食文化ってのは全部権力とくっついてるんです、時の権力と。さっきタレイランの話をしました。ほかの外務大臣やほかの役人だとか、必要ないんです、食物とワインを持っていれば。
敗戦国フランスがウィーン会議で、フランス料理で世界中を籠絡したという話です。でも籠絡されるほど美味しかったってことなんですよ。
逆に言うと他の人はもう食の細い国からみんな来ちゃったっていうそういうことなんで、結局合意できなかっただけ連日連夜ね。昔の映画見てるとわかると思いますが、それだけ振舞われれば、フランスの味方をしてしまいますよ。
独仏で4回も所有権が移動したアルザス
~端倪すべからざる欧州の十字路
【宇田川】ボルドーとブルゴーニュの話をしたので、もう一つ、地政学的に非常に興味深いのは、アルザスです。赤は少なくて、白ワインを9割ぐらい作ってます。ほとんどのフランスワインのようには輸出されてないんです。非常に面白い地域なんです。皆さんもご存知だと思いますけど、アルフォンス・ドーデの『最後の授業』という有名な小説がありましてね。
『最後の授業』は小学校のときに教科書に載ってましたね。アルザスっていうのはロレーヌ地方の中にあるんですけど、アルザスという一点にフォーカスしても、フランスとドイツで3回から4回、取り取ったり取られたりしているんですね。
1870年の普仏戦争でドイツに、第1次大戦でフランス、第2次大戦ではドイツ、終戦後はフランス。つまり、あの人たちっていうのはワイン生産っていうのは地場産業として唯一ですかね。ストラスブールとか観光産業もあるんですけども、地場産業としてビールとワインがあるんですが、彼らはアルザス語ってあるんですよね、古い言葉なんですが。
つまりドイツ語を喋るんですよ。フランス語も喋るんですよ。その3カ国っていうか2カ国によって取ったり取られたりする国の宿命って、どういう人心って考えられないですよね。
【店番】瓶を見ますと、ドイツ型の瓶に入ってますよね、アルザスワインというのは。それからゲビュルツ・トラミナーとか品種もドイツ品種が多いようですね。ファミリーの名前でも、ドイツファミリーの人が多いみたいですね。
【宇田川】アルザスワインって、品種の名前がワインの名前ですね。あそこほら、人間ってのは別に国境で仕切られて住んでるわけではないですからね。国境のほうが動いちゃったんですね、人間が動かなくて。だから相互作用みたいのがあって。彼らの本当に苦悩っていうのは、なんとなく想像を絶しますよね。
その中でそのアイデンティティの一つがワインなんですよ。ワインのためにいろんなことをしてるわけですけども、その中に本当に昔ケルト人やゲルマン人から征服されて、つまりアルザス地方って、フランスとかイギリスを見てると、なんか向こうの方にありそうな感じがするけど、ちょっとヨーロッパの地図を広げてますとね、真ん中ですね、真ん中なんですよ。ドイツとフランスの間ですもんね、これヨーロッパの十字路と言われたんです。
だから人の行き来がもの凄く盛んで、その交易の盛んなところだから、ゲルマン人とかケルト人とかいろんな人が入ってきたんで、取ったり取られたりしてるわけです。19世紀20世紀まで同一フランスが通って、つまり、本当に征服されて簒奪されて蹂躙された人たちなんでね。
19世紀の終わりにワインの生産地として出てきたもんですから、ワインを巡って争奪戦もすごく行われたわけです。害虫がね、全滅されたときがあって。好景気のときはものすごいワイン畑を作っちゃったんだけど、ビールに押されてちょっと削減したりとか本当に苦労した連中なんですよね。
だけど、やっぱり基本的には農民なんですよ。農民だからそのプロモーション例えばマーケティングプロモーションはボルドーが一番上手いです。マネジメントしてますから。ブルゴーニュは、自然の流れとして世界中知ってる。でもアルザスは全然知らない。
もうちょっとマーケティングとか、私は専門家じゃないですけど、なんかプロモーションをかけたらどうですかって、時々取材に行って余計なお世話だけするわけです。そうするとね、ものすごい絶対自分たちのワインに自信あるんですよ。
口コミで知られていけばいいやって、農民なんですよ。
【店番】アルザスの中心都市のストラスブールには、EU議会がありますありますよね? やっぱりさっきおっしゃったような十字路ということなんでしょうか。
【宇田川】そうなんです。彼らにヨーロッパ全体の中心地ですよっていう自負はあります。農民の方にもあります。あるんですけど、だからその中の一番の産業はワインなので、ワインに対する誇りと、アイデンティティーも強かったです。独特な、蹂躙され歴史に翻弄されてきたっていう地域で、端倪すべからざる地域ですよ。
パリ在住時にレストランを創業し、1年半でミシュランの星を獲得
~日本ではわからない階級社会における人の遣い方の極意とは?
【店番】さて、3つの銘醸地に加えて、アルザス、あとはローヌとかロワールとかあるんですけれども、その中で一番の消費地といいますと、当然パリということになります。そのパリではなくて、当時まだ食については不毛の都と言われていたロンドンで、フランス料理店をやられたわけですよね。これを立ち上げられたのはどういう経緯だったんでしょうか?
【宇田川】そうですね、パリに住んで10年ぐらい経ったときに、あるところからロンドンで店を開く話が来て、フレンチレストランどうですかって言われたことがあって。もう器の内装はできてたんですよ、日本の建設業者が作った高級フランス料理店というのが。
わかるでしょ。70年代の東京の高級フレンチみたいな。古いんですね、もうイメージが。1990年ですから、20年遅れみたいな感じだったんですね。そこの器で何かやってくれませんかって言うたときに、その何をやりたいのって私が聞いてね。
ミシュランの1つ星を取りたいって言ってね。当時、私はミシュランのことをいろいろ書き散らしていたんですが、いろいろ企業がありますけれども、星を取るってことは、法外な野望なんです。しかも一介の日本人がね。当時の日本人の店で星を取っていた店はなかったわけですね、当然ですね。
私は、ちょっと大きな料理屋の息子だったもんだから、そこで育っていろいろね。商売のこと。スタッフとか板前と仲居とかね。ある日、板前と既婚の仲居が夜逃げしちゃうとかね、もうドロドロの世界。
小さい頃からそういうところで育ってきたもんだから、一生に一回、そんな冒険をしてもいいかなって思ってね。マア、魔が差したんですよ。近いでしょう。まだユーロスターができる前で、エアフランスしかなかった。一生に一回ぐらいやってみようかなって。
【店番】電車じゃなくて、ユーロスターが開通するのは91年ですよね? ですから飛行機で毎週行かれたんですか、毎週?
【宇田川】そうです。ユーロスターも3時間かかるんですね。飛行場もドアツードアで3時間かかるんですよ。よく行きました。
シェフも黒服長も部下全員
フランス人を手なづけたのは階級社会への洞察
【店番】立ち上げのシェフや店長を面接して、採用されるところからおやりになったんですか。余計な心配なんですけど、フランス人ですよね?フランス語しか喋れないですねそういう人は。フランス語でやられたわけですね?
【宇田川】当たり前じゃないですか。階級管理社会ということを、ここでちらっと言わないとわかんないんですけども。フランスは階級社会なんですよ。イギリスもそうですけど、だいたい上の10%か5%ぐらいが生産から支配している。で、もう一丁、民主主義の国って、つまりエリート主義と民主主義社会ってのは車の両輪になってるわけ。これ日本人にはわからない。
【店番】いや~、これはですね、エリート主義か民主主義かって、どっちかって思うのが我々日本人だって、そういう教育されてきましたよね。だから「車の両輪だ」っていうのは、初めて聞きます。これは面白いですね。
【宇田川】もちろん、日本のように大衆化した社会状況というのは、フランスにもある。だからここ30年に、やっぱりそういうきしみというか、歪みというか、さっき言った制度疲労を起こしていて、エリート主義に対する異議申し立てがすごく多いわけです。フランスでは本当に日々毎日起こるようになってた。
主義主張がね、はっきりしてる。つまり、エリート主義みたいなものがあって、民主主義があるっていうのは、うまく機能してたんですよこれ。それがグローバリゼーションになって、なかなか機能しなくなって、きしみが生じてるんです。何かエリート主義っていうとさ、普通の一般人が何か苦しい生活してるようなイメージがあるけど、映画とか見りゃわかるんで、フランス人の一番好きな言葉は「生きる喜び」って、マァ通俗的な言葉なんですけども、それはエリートでも、普通のねホームレスのおじさんでも、日々そういう快楽を求めて生きてるってことに変わらないんです。
で、もう一つは等身大に生きるってのがあるんですよね。当初これ日本人にはなかなかわからない。つまり、成熟した民主主義じゃないと等身大に生きられないんですよ。これは、隔靴掻痒なんです。私もいろんなとこで喋ったりするんですけど、「先生、わかりません」って言われる。わからなくていいんです。
【店番】あの・・・、それとフランス人のギャルソンを命令するのと、どう繋がるんですか?
階級社会における組織づくりの要諦とは?
~階級社会と民主主義のシンクロ構造を見抜く
【宇田川】つまり、それをキッチンという空間に持ってくると。階級制度と民主主義が平行移動してるんですよ。これはもう、本当に組織作りの問題なんだけど、私はにわか勉強みたいなものでやってきたわけですけど。実家がそういう世界だったこともあるんだろうけど、トップダウンとボトムアップのどっちなのかということ。
これはね、私はフランス人とフランス社会に生きてて、たかだかそれまで10年ぐらいでした。ボトムアップではなくて、トップダウン。上意下達、これで行こうと思ったんですよ。民主主義っていうのは、もう血肉になってるから、余計なこと言ってもしょうがないから。
ともかくうるさいから。みんなうるさい。言わせると、まとまらないから。だから、トップダウン。上が決めると。キッチンの権力構造っていうのは階級構造で、トップはシェフなんですよね。シェフを決めると、大体九分九厘決まっちゃうんですよ。
シェフっていうのは、料理作りだけじゃなくて、店作りのことも非常に考えてるわけ。シェフをまず決めて、マァ決めるまで大変だった私も、コネクション使って、調理場を借りて、候補いっぱいいたから、料理作らせて、ちょっと食べたりしてね。そこから1人ピックアップして、トロワグロって3ッ星のね、50年ぐらい3ッ星やってる店ですけど、そこの出身の男でね、これいいだろうなって彼を決めました。
これを決めたおかげで、スー・シェフ、つまり副シェフ、セカンドですね、それから表はメートル・ドテルっていう支配人、黒服それからソムリエ。つまり、このシェフを決めて下に3人組をつけて、つまり4人組を作る。これを作ることによって、組織図は作れるんですよ。
【店番】各部門長を決めるってことですね?
【宇田川】そうです。まずその上にシェフ。ただ、私は全責任者だから、経営に関してカネの問題とかマネジメントに関して、小さなことでも私が全責任とるから、つまり日本で出資者があるわけですから、その交渉もしなきゃなんないけど、それはもう全然一切構わないでいいから、お前らやれと。
これ一番楽ですよね。金を出すからお前たちやれって言うんです。もう天国みたいなとこですよ、彼らにとってはですね、だけど私はエトランゼ=異邦人でしょ。なんかやっぱり彼らにも与(くみ)するものがあるんじゃないかな。なるほど、そういう人間なのかなって。
ただやっぱり、フランス人は冷たいとか、おせっかいだとか偏屈だとかいろいろ言われてますけど、結構オープンマインドになるとね、交流できるんですよ。できるまでが大変だけど。
【店番】できるまでが大変じゃないですか? 私の数少ない経験で、1回か2回しか行ったことないパリの店でも、こっちがお客で、金払うって言ってるのに、うんともすんとも言わないっていうところでですよ、上役として指示命令して言うことを聞かせるって、凄いことですよねえ。
【宇田川】猜疑心強い連中なんで。だから4人組作って、ともかく見取り図作ってね、フランス人を25人くらい使ったんですよ。
【店番】25人!
【宇田川】20人ぐらいでいいとこがね、ちょっと流行遅れなとこもある店で、1階と地下があって難しい感じなんですね。それをいろいろ改革したんですけどね。
フランス人ばかりの従業員チームに、あえてイギリス人を入れる
【宇田川】ロンドンでやるわけですから、客の方が大半はイギリス人なので、イギリス人が1人か2人いたほうがいいと。スパイスとしてね。そういうことで、2人置いておいたんですよ。23人のフランス人にイギリス人を2人入れたんです。そしたら、上の4人組がね、「お前、なんでイギリス人雇うんだ。あいつら俺たちより働かないよ」って、働かないフランス人が言ってる。
【店番】これはまた(爆笑)、で、実際はどうだったんですか?
【宇田川】それはだって、2人ぐらいしか雇わないし、権力はこっちが握ってるんで。それと、もう一つは、高級レストランだから。私はプロデューサーという立場なんで、マネジャーじゃなくて、別に店に行ってるわけじゃないプロデューサー。こっちは店を任せられている。全責任を負っているのだから、余計なこと言うなと、釘を刺したんです。
1つ星を取るということで、当時1990年ぐらいなんですけども、ロンドンにミシュランのガイドブックの3ツ星レストランが3軒あったんです。2つ星と1つ星が数軒あるんですけど、もちろんマーケティングでいろいろ食べに行ったけど、もう本当に料理と言えないもんなんですよ。
【店番】そうなんすか?
【宇田川】イギリス風フランス料理。だから私は本物のフランス料理を出したいなと思ったんです。英仏関係もいろいろあるし、ただほら、ECはできていたけどEUはできてない頃なので。まだサッチャーがやってるときですよ、1990年ですから。
まだやっぱり心理的にギクシャクしてるわけですから。こんなこと言っちゃ失礼かもしれませんが、イギリスは不毛地帯なんです、食のね。だからそういうとこで、純然たるフランス料理を作って出すのはどうかなっていろいろ思ったんですけども、高級フランス料理レストランですから、金持ちしか来ない訳です、上流階級しかね。
イギリスの上流階級は、フランス語を話すことが誇りなんですよ、ステータスなんですよ。歴史的にみればそうなんですけど、15世紀には本当にイギリスの宮廷ではフランス語。それからさっきのボルドーの話もあるし、犬猿の仲なんだけども、彼らもいい部分もたくさんあるんですけど、やっぱりフランス人に頭上がらないんですよ。
【店番】頭上がらない?
【宇田川】上がらない!これははっきり言って。
【店番】そうですか・・・。それはイギリス社会の頂点というか、上にいる人間も、フランスに頭上がらないんですか?
【宇田川】そうなんです。フランスにコンプレックス持ってますね。それはしょうがない。日本人もアメリカにね、というようなことがあるわけですよ。そういうようなことは私もちょっと知ってたから。
イギリスの上階級向けのフレンチレストラン
【宇田川】イギリス人の金持ちが来るんだから、徹底的にフランスにしようとしたんです。フランス風ですね。(純粋なのは)まず無理なんで、フランス風しかできないんです、ロンドンだから。
【店番】純粋にはできないけども、どこまでも「フランス度」を上げていこうと。
【宇田川】彼らのコンプレックスを逆手に取って、来てもらうと。それでフラン料理にしました。
【店番】「コンプレックスを逆手に取った」なんてね、当時言ってたら大問題になってましたけど、これが実は成功の秘訣だったっていうのはすごいですね。それで、イギリス人のお客さんには受けたんですか?
【宇田川】なかなか、最初はね。やっぱり、日本人だとガイドブックとかいろいろあるんだけど、不思議だったのはね、私なりに個人的にリサーチいろいろしてて、本屋さんいっぱい行ったり、新聞や雑誌みんな見るんですよ。フランスの書店、パリの書店に行くと、雑誌、新聞、全部残らずグルメコーナーあるんです。食情報、レストラン評価、これ絶対あるんですよ。ところが、イギリスには1つもない。びっくりしました。
【店番】ハウスとトラベルはありましたね。
【宇田川】食べ物はない。ハウジングとかガーデニングは好きなんでしょうね。食い物は全然興味ない。興味あるんだったら、1つくらいあるでしょ、コーナーが。あ、こういう国だと思ってね。
【店番】本屋さんに、フードって言うか、食事のコーナーがないんですか?
【宇田川】年鑑とかね、数冊、そういう本はありますけどね、毎日出してる週刊誌、雑誌、新聞とかね、ないんですね。それだけ興味がないっていうことですよ。
【店番】そうすると、美味しいものを出しても流行りそうにないってことになりませんか?
【宇田川】そこに異化作用って、違うものが入ってくる。違う爆弾を投下するわけですよ。
なかなか最初からうまくね、口コミとかね、宣伝でポっと行くような人たちじゃないから、ヨーロッパ人はね。日本人はね、口コミとかテレビとか見たらパーって行っちゃうけど。
【店番】人の言うこと聞かないですか?
【宇田川】全然聞かない。もう、自分の判断ですから。ご自身、ええ。プリンシパルなんだけども。
ミシュランの覆面審査を受けた前代未聞の回数
【宇田川】お客さんもいろいろね、入ってきました。10月にオープンしてるんですよ。翌年の3月に、ガイドブックが出るんですよ。その翌年出たんですね、2年後にね、1つ星取ってね。それは、感慨深かったですよ。まさか、大体ミシュランの審査員ってのは、覆面審査ですよね。
【店番】本当に覆面審査だったら、わかっちゃうじゃないすか、覆面してるって(笑)。
【宇田川】もちろん匿名で来るんですよ。いろいろ条件があったんで、だんだんわかってくるんでね。カップルで来るとか。結局日系企業でしょ。
疑心暗鬼になってるわけ。つまり、1年後に星あげて、1年後に撤退されたら面目丸つぶれじゃない。ウチに何回来たと思います? 普通5回なんですよ。1つ星に上げるのに。3つになると、10回ぐらいだそうなんですが。
それで、15回。15回来た。それだけ慎重だったんです。あの慎重で実直なイギリス人です。さらに実直さをウチに求めたんです。15回なんてありえないです。それで、やっと1つ星取りましたね。
【店番】日本人経営ってことは、もうわかっちゃってるわけですから、それをミシュラン星付きにするっていうのも、勇気がいったんじゃないですか、ミシュラン側も、?
【宇田川】ものすごい慎重です。おかげさまでね。
ミシュラン掲載の臨時ボーナス支給に、驚きの反応。
【店番】そのときはやっぱり、シェフもメートルも喜んだんですか?
【宇田川】喜びましたよ。それで、「お前たち25人で、ディズニーランドに行って来い」って。フランスにできた時だったんで。「普段行けないから、お金使っていいから、遊んでこい」って言ったらね・・・
【店番】喜んで行ったんですか?
【宇田川】行かない。すごいんだよね。この答え。シェフが言ったんですけど、「今、招待されることはない。自分たちが決めた仕事の中でお金を稼いで、地位ができて、それからお前たち各人が行けばいいんだ」と。
【店番】部下がですね?
【宇田川】そう。部下が自分で出すことであって、お前がカネを出すことはないんだ、と。
普通喜んで行く行くじゃない。経営者の招待だ~って。
【店番】臨時ボーナスがいらないと。そういう自分で稼げる地位になることを先にやれと。
【宇田川】これは、エリート主義と階層主義なんですよ。日本も階層社会って言われてますが、ちょっと誤解されてるんですね、ちょっと意味あいが違うので。
【店番】これは、どこまでも深いお話で、ワインと食文化とレストラン経営だけではなくて、この国民性の奥底に根ざしているところまで今日はお話をいただきました。どうもありがとうございました。
【宇田川】ありがとうございました。